2012年5月23日水曜日

i-SIM News 103/スポーツの見方

 今から20数年前の秋のことだ。私はレッドソックスの本拠地ボストンのフェンウェイパークにいた。「七色の変化球」を操った伝説のピッチャー、若林忠志という日系2世のプロ野球選手のドキュメンタリー番組の関連取材だった。ニューハンプシャーにインタビュー取材に行った帰り、若林も憧れたであろうMLBの球場のイメージシーンを撮影しようと一番近いボストンに向かったのだ。現在はフェンウエイのチケット入手は困難を極めるらしいが当時は簡単に手に入った。グリーンモンスター(レフトが極端に狭いため緑色の高い壁のようなものを設置しホームランが出にくくしている)も当時は観客席が無かったし、日本人選手がMLBで活躍することになろうとはだれもが夢想だにできず、現在のようにNHKのBSでも中継していなかった時期だ。(ISIM 齋藤博研究員)

ゲームが始まったので私たち取材チームはバックネット裏のシートに座り、そこからグラウンドの様子を狙いながらゲームを見ていた。相手はクリーブランドインディアンズ。確かこのとき、ボストンはアメリカンリーグ東地区でトップ争いをしていてこの日もクリーブランドをリードしていた。
アメリカの観客は家族連れが多い。私たちのすぐ前の席にも父親と小学生ぐらいの男の子が座っていた。ボストンのプレーにはやんやの拍手、クリーブランドのプレーにはブーイングを父子は繰り返していた。とその時、父子にそれまでとは全く違う空気が流れた。父親が「坊主、今のプレーはいいプレーだ。憶えておけ。」と息子に冷静な口調で短く言ったのが聞こえた。私は最初、何のことかわからなかった。ゲームはボストンのバッターがサードゴロを打ってクリーブランドが5-4-3のダブルプレーをとってチェンジという場面だった。プレーを思い返してみると、セカンドが自分のほうに突進してくるランナーを際どく交わしてファーストに投げたプレーしかなかった。父親はクリーブランドのプレーを散々、虚仮にしておきながら、走者にひるまないセカンドの勇敢なプレーを息子に憶えておけと言ったに違いない。しばらくして球場では7回裏を迎える前の7thイニングスストレッチが始まり「私を野球に連れって」を父と子は大きな声で歌い、元の父子に戻っていた。
私はしばらくしてからあの父子に、野球の見方、スポーツの見方、楽しみ方を教えられたのではないかと強く感じるようになった。アメリカの球場には多くの家族連れが足を運んでくるが、この父子のように父親が野球の面白さや見方を子に伝えているのだろう。そしてその父親も父親から教えられたのだ。
アメリカには野球を題材にした文学作品や映画が数限りなくある。その中で私は、W.P.キンセラという作家の作品が好きだ。キンセラといえば『シューレス・ジョー』(文春文庫)が代表作である。いわゆる「ブラックソックス事件」で球界を永久追放されたシカゴホワイトソックスのシューレス・ジョー・ジャクソンがアイオワのトオモロコシ畑に作った小さな野球場に現れるというこの作品は、『フィールド・オブ・ドリームス』としてケヴィン・コスナーの主演で映画化された。しかし、私は初期の『アイオワ野球連盟』(文芸春秋社)という作品が最も好きだ。この小説は野球好きの父親の強い影響を受けて野球の虜になっていく息子の話だがキンセラが描く作品世界はまさにあの時のフェンウェイパークのあの父子の姿がぴったり重なり合う。父から子への伝言。それがアメリカのベースボールの伝統を支えてきたのではないか。
昨年、公開されたブラッド・ピットの映画『Money Ball』(ソニー・ピクチャーズエンターテインメント)でもそんなシーンがあった。女の子だったが…。しかし、私はこの原作や映画を読んだり見たりして強く感じたのは主人公のオークランドアスレティックスのGM(ブラッド・ピット)の考え方や行動より彼が駆使するセイバーメトリクス(野球についての客観的な知識の研究)の研究家、ビル・ジェイムズのことだ。彼もまた、子どものとき、きっと同じように「伝統的体験」をしたからこそ、工場で夜警をしながらでもなかなか認知されない野球のデータ研究に打ち込むモチベーションにつながったのではないかと思った。
現代の日本では母親に比べ父と子の会話が少ないといわれている。現在、仙台には「楽天」、「ベガルタ」、「89ERS」など身近にプロスポーツチームがある。仙台の球場や競技場で父が子へと「スポーツの見方」を伝えていく光景が自然に繰り広げられる日がいつか来ることを待ち望んでいる。