2011年9月7日水曜日

i-SIM News 088/東日本大震災から半年

1万人以上の命をのみ込んだ東日本大震災から半年になろうとしている。この間、スポーツ界からも様々な支援や協力が行われ、被災地にスポーツを通した想いが届いている。
スポーツに関わるものとして、いつもスポーツの価値について考えているが、大震災で一層スポーツが持つ力について考えることが増えた。この半年間、時間の重さと経過を感じながら、私が経験し、感じた阪神淡路の震災を思い出した。(ISIM 藤本研究員)
阪神大震災時に高校生だった自分には、悲惨な状況下で「スポーツでできること」という発想は皆無だった。ただただ自分ができることをひたすら考え、無い知恵を搾り出していた。その時、あるニュースで、ビルの倒壊、瓦礫の散乱、移動ルートの寸断等が目に飛び込んだ。「バイクや車は道路が寸断され移動が困難」というアナウンサーの言葉が映像と共に流れた。映し出された映像に自転車で移動する被災者の姿があった。ふと、移動は自転車が有効になるだろうな・・・と思ったことを契機に、単純に「チャリンコを直しに行こう」と思ったのを覚えている。
修理やメンテナンスは、自転車競技の選手として欠かせない能力の一つでもあるが、自転車競技をする前から、私は物(主に機械類)の構造に興味があり、触ったり、バラしたりと、とにかく触るのが好きだったこともあり、自転車は恰好の対象でもあった。
現地では、"誰かが使うかもしれない""使った人が、あって良かったと思ってくれれば"の想いや、"こんなことをしても、誰が使うのか""もしかすると使われずにゴミと化すかもしれない"—。こんな自分の心の葛藤を押さえつつ、自転車を直すために、焼け焦げたもの、瓦礫の中に埋もれ潰れて変形してしまっているもの、こんな状態から少しでも使える部品を集めて修理していた。時には10台分の部品をかき集めて、1台を"再生"することもあった。
また、その場の惨状を目の前にしながら、"自分のすべきことをする"意志みたいな精神力を維持しなければならなかったが、私は、とにかく"目の前にある現実に対して自分ができることを"の一心で、黙々と自転車を直し続けた。
高校生だった自分にできることのあまりの少なさに、情けなさを感じながら、辺りに転がっていたダンボールの切れ端に"使ってください"とマジックで殴り書きし、次の自転車を復活させようと移動した。
個人では無力ではないにせよ、できる規模が小さい。今思えばこのとき"繋がり"があれば、自転車を本当に必要としているところに行き、直すことをやっていれば、もっと有効だったのではないかと思うこともある。
今回の震災は阪神淡路と単純に比べることができないが、人と人との繋がりや絆を復興テーマに掲げているのを多く目にする。阪神淡路の時は野球がいち早く反応し、メッセージを発信していたのも記憶している。今回はサッカー界の対応が素早かった。
スポーツは、そのパフォーマンスを見せることで想いは届けられる。スポーツイベント等でも即効性のあるものも提供できるが、数年、十数年にわたる継続力のある活動になりうるのだろうか。大多数が一過性のものに過ぎないように思う。スポーツが今できることを考える上で、そのネットワークを活かした活動がヒントを与えてくれると感じるが、そこには復興に向けた長いスパンの継続力・持続力のあるつながりが必要であり、そこに関わるすべての人の覚悟と決断が必要ではないかと、今改めて感じる。